2015年08月11日

今の思い

生産現場から流通までやっていきたいと考えている。

自然栽培に関わって11年
日本の主体の流れからかけ離れているために
多くの不都合も生まれてきた。

だが、自分の思いを追求し続けている。
行き過ぎなのか自然栽培の仲間も少なくなってしまう。

そこに何があるのかを考えてみると
それぞれの都合によるものみたいだ。

生きるためには何かに巻き込まれていくのが利口かもしれない。
だが、自分の思いとのずれがあるとしたときに
ずれに存在するものを追求するのか
黙って生きるために巻き込まれてしまうのかが分岐点。

追求していくのが私の向かう方向。

はっきり言う。

今までの自然栽培は何かしらねじれがある。

それがいったい何かを追いかけているのが今の自分。
自然栽培の世界ではわからないことが多いために
見る世界を広げて多方面に知を求めている。

そうやってきて
統合できる状況があることに気がついた。

求めるところは
BLOF理論と自然学
自然栽培の実践から勝ち取った経験
これらが融合するところだ。


自然とは
多くを許す懐がある。

その中での人の欲が壁を作ってしまう。

自然栽培での人の肥毒の部分
いつのまにかその環境での欲がそうさせている。
狭い世界での見方しか出来なくなってしまっていないか?



今、私は色んな思いの中で
何を求めているの?と考えてみた。

生産だけでは生きずらいのと
買っていただく人の思いがなかなか戻ってこないことの葛藤。
自分の行く道はこれでいいのか?という困惑。

これらを考えた末の流通参入だった。

私の思いだけで突っ走ったために
金銭的に行き詰まり恥をさらしながら
多くの人の協力をいただくことになった。

本来ならば自分の土地を処分して自分で解決するところを
多くの人のおかげで皮一枚でつながっている。
感謝の言葉しか出てこない。

助けてもらって

だからどうする?

恩返しするのはあたりまえだが
この恩はそれだけのものでは無い様に思っている。
自分の追及してきたことの証明をしろ!といわれている気がしてならない。

まだまだ不十分ながら
自然のこと
宇宙のこと
土のこと
微生物のこと
無機質のこと
植物のこと
動物のこと

いろんなことが絡み合って循環し
そして目の前にあることの事実

そういうことが解ってきている。

何かをしろ

というならばやるしかないだろう。
今の問題をどう解決するかはこれからも考えるのだが
とっくに破綻の状況をつないでいただいたのは
まだ仕事をさせてもらえるということ。

生きれる残った時間をどう使うのか?
やれることを精一杯やっていくことから
見える何かが在る気がしてならない。



chorga at 21:34│Comments(0)思い 

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