2015年01月21日

自然農の違う方向からの見方


genri1
自然農法の原理を聞いたのは11年も前。
今にしてみればそういうことかと思えるのだけれども
その当時はこれを真に受けていったいどういうこと?と真剣に悩んだものだ。

岡田茂吉の言いたかった事はこれではわからない。
時間が過ぎていくうちに解明されていく原理は
この抽象的な表現では理解できないからだ。

何よりも土素とはいったいなんだ?

それがわからなければ自然農は理解できない。
混乱させた原因は当時の時代環境によるところが大きい。
岡田茂吉は自然栽培という言葉を始めて使った人であり
その後無肥料栽培という言葉に換えている。

化学的肥料が出来てきた創世記で無肥料という言葉にも圧力がかかっていたという。
そもそもこの方法をどうやってつかんだのかの資料は見つからなかった。
ある時何かが降りてきて突然思いついたみたいな文を見たが
はたしてどうとらえていいのか、今にしては理解しがたい。

私は、常人には見えない何かが見えた人という特別枠の人と捕らえている。

そうでも考えなければこの時代の情報がほとんど無い状況でこの理論は思いつくとは思えないからだ。

いずれにしろ自然農の考え方は現在に引き継がれている。
相変わらず土素という表現と
火素、水素、土素の3要素が絡み合って養分を作り
それらが自然力(X)を生み出し肥料となるということを謳っているようだ。

当時は土自体の神秘性が大きく実態がわからなかったからではあろうが
土の持つ力は十分にわかっていたようだ。
このころの文献によれば藁は細かく切り落としてやったが良いと言っている。
何も使わないという事から有機物を入れるということも言っていたりして
混乱する部分も見受けられる。

そのわからない部分に科学的なメスが入った。
つまりは土とは何かがわかったのだ。

そうなるとさらに科学的に追求できるようになる。
そしてそこからもっと良いと思える方法論を導き出す事もできるようになる。

土とは有機物が微生物と珪酸との絡みで重縮合という物理化学反応した結果に生まれてくる物質だ。

そこに緩衝作用が発現する事がわかっている。
自然農の理論は科学的にわかってきたのだ。

そうなってくると
肥料を使う使わないとかの話ではなくなってくる。

これと植物の生理を組み合わせていくと
生産ではどうして行けばいいのかのプログラムが出来上がってくる。

土の基が有機物であるとわかった時点で
自然界の有機物の循環に目を向けることで多くの疑問が解決する。

自然農の考え方は間違ってはいなかった。
ただ見る視点がちょっと違うところから見なくてはならなくなったというだけだ。





 

chorga at 22:12│Comments(0)セミナー 

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