思い

2015年03月07日

中庸

中庸

私のセミナーで毎回話をして頂くTAO塾の波多野氏がよく言う「中庸」

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中庸は徳の至れるものなり
ちゅうようはとくのいたれるものなり・・・・・
なにごとをするにも、やりすぎてはいけない。そうかといって遠慮しすぎるのも良くない。
ほどほどに行動するということが、最高の人徳というものであります。
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という事らしい。
波多野氏の話は聞くたびに背中が伸びるような感じ。
陰陽と中庸という言葉から感じるものは
「動」と「静」そして「均」

今までの私の行動は「動」が大きく
それは「激」という言葉がつく「激動」だった。

10年考え続けた自然栽培
そこに理解しがたい部分を追いかけてある程度の知恵は持てた。
だがそれは人が勝手に決めた自然栽培とは違う。

自分自身の自然栽培とはなんなのか?
自然界の大きな動きと微細な部分が共存する
互いに絡まりあった人の知識では理解できないところをも包容する

そこに至るには自然界のルールがある程度分からなければたどり着けない。


今の時点でたどり着いた言葉は
「良い食」

簡単な言葉だがとっても難しい。

それにたどり着きたいがために自然栽培をやってきたようなものか。
ところが自然栽培をやっていくにつれ
どうしたらいいのかの指針がぶれて見えるようになってきた。
何かが違うと思うからこそ色々やってみる。
そこから見えるものはある意味全く違って見えることもある。
だが
目標が決まっているから自分自身はぶれているとは思わない。

自然栽培という言葉だけに懐いた人には理解できないところかもしれない。


自然栽培、土壌生成理論、BLOF理論を経て
その先の世界を目指す。

そこに「中庸」という言葉があてはまる場所がありそうな気がしている。





chorga at 03:40|PermalinkComments(0)

2015年01月30日

私の目指すもの

農業をやってきて
一貫して目指すものがある。
それは安全な食という漠然とした表現しか出来ないもの。

もともと農家に生まれたものの農業にさっぱり興味が無かった人間が
その環境と生き方を考えた末の農業選択。
自分自身の体になにやらアレルギーが出てきてから、そこから目指すところが定まってきた。

当時の選択は今で言う自然栽培
そこに自分の思う安全なものがあると思ったからだ。

その自然栽培は崇高な目標の割には技術は乏しかった。
人の感覚的な、観察によるOJTがほとんどで
それを再現できるような技術の組み立てが出来ていないと感じている。

最近になってようやく科学的な解明が出来ている部分に触れ
自然界の流れが理解できるようになってきた。

自分の思うその要素は
宇宙的視点からの影響が目の前の圃場にどうかかわっているか。
普通にそこにある土に対する科学的な理解。
その場に生きる植物に対する科学的考察。

ほぼこれを理解していく事で成り立っていくような気がする。


どうしても自然栽培という立場から視てしまうのだが、
その1方向だけで見ていては真実は見えなくなってしまう気がする。

私の目指すものは何か?
常にそのことを頭においての出来るだけ多方面からの見方をするように心がけている。
自然界の有機物の変遷を見るには
偏った見方ではおかしくなってしまう。
自然栽培は一時期有機栽培に攻撃的であったように
科学的な考察が足りないがためにおかしい言動も出てきていた。
自然界の循環に必要な腐植の関わりにも
自然栽培の関係者は目も向けない。
そこから私の自然栽培に対する見方が変わってきた。

スーパー有機の素晴らしい組み立て理論を見ていると
いかに自然栽培が遅れているかを感じてしまう。
だけど
自然栽培は壺に嵌ればとんでもなく素晴らしいと思えるものが出来る。
その再現性が不安定であるがために
多くの人が取り付かれもするし、失敗もするのだ。

BLOF理論の小祝氏と最初に話したときに
自然栽培でも科学的な再現性のあるものを作り上げたらいいのではと言われた。
そこからがBLOF理論をしっかりと勉強してみてから組み立ててみようと思った。

誰にでも再現できる自然栽培
科学的な組み立てに破綻の無い自然栽培
何より美味しくて安全な自然栽培生産物を求めたかった。

どうやら小祝氏は自然農、腐植なども頭に入っているようで
そこからの考察は自然栽培の領域を覆っている。
いったいどれだけ勉強してきたんだよ。

目指すものはどこか?
それさえ見間違わなければ方法論はいくつも出来てくる。
それでも自然栽培にこだわりたいと思う自分がいるのだ。



chorga at 16:50|PermalinkComments(0)

2015年01月25日

土壌分析2

植物が根から養分を吸収するには一旦液状化する必要がある。
そこで植物は根から根酸を出し土を溶かして必要な養分を取り込む。
土壌分析をするには根酸のPHに合わせた溶液で土を溶かし
そこに溶出する成分を調べる。
なるほど理屈に合う方法。

調べた成分から土の中の過不足成分を割り出し
適当な状態に持っていくように施肥計画を立ててやっていくのがBLOFの根幹。
それを自然栽培に当てはめようにも施肥しないのだから当てはまらないと思うのは早計。
自然栽培とて自然栽培をするために土作りを必要とする。
特に肥毒と呼ばれる部分を解消するには大豆ムギソルゴーなどを駆使し
肥毒を取り去ってしまおうとする。
肥毒とは何か解っていないためにたまたま効果のあった方法をやって結果を待つしか方法は無い。
そこを化学的に解明してしまえば事は簡単なのだが
そういう方法を提示してもかたくなに拒否する。
肥毒の解消が成功する道と言って置きながら
解消方法は拒否するとはいったい何故?

まあ、そういうことはそういう話のときにするとして
今までの自然栽培での肥毒の取り方をするとして
その場面で土壌検査をやっていけば
何が不足し何が多いのかがわかってくる。
それは少なければそれを供給しやすい作を作って補うなどの方法が取れる。
多い分は消費させるように仕向ける事も出来るだろう。(意識してやるにはかなり難しそう)
だが、分析するとある程度の方向性が見える。
闇雲にやっていくよりはずっと良い方法だと思う。

そこに植物生理を当てはめて考えてみたら
いやいや、これは凄いぞ。

理論的に考えてみると
BLOF理論で作られたものは自然栽培を凌駕する。
それほどの完成度の高さ。

出来たものは硝酸態窒素が計測不能というところまで少なくなるし、抗酸化値は高いし、糖度はやたら高いし
ビタミンCも多いし、何よりも収量が凄い事になっている。
はたしてこれを知ってしまったら生産者はみんなやりたがると思う。

自然栽培を引っ張った一人として思うのは
これを見せられて自然栽培の優位性がどこにあるのか?ということを考える。
優位性など無いに等しいが、そこも早計に考える事はない。

今の自然栽培ではBLOF栽培に適わない。
太刀打ちできないところはどこなのかを考えてみようではないか。
そして多少なりとも優位性が見られる点を考えてみようではないか。

単純に自然栽培という言葉が素晴らしい。
自然という言葉は人の頭にすんなりと入っていくから
そこから連想させるものが大きいがために売りやすい。
BLOFといわれても何だ?だからね。

ああ、今日言いたい事から話がずれてしまった。
実は腐植の働きについて話したかったのだが
その前提の話だけで終わってしまう。
この後はセミナーで話すこととしよう。

自然栽培をやっている人たちに奮闘してもらいたいと思って書いているのだけれど
わかってくれるかなあ?BLOFの宣伝みたいなブログになってしまっているし・・・・



chorga at 14:31|PermalinkComments(0)

2015年01月23日

機能性食品に対する疑問と期待


機能性食品に対する疑問と期待

http://agrifood.jp/2015/01/22/3629


永らく自然栽培の世界にいるので今回の機能性食品については?
野菜の中身評価という期待が大きかったのでがっかりしたというのが本音。

ある生産物の何かしらの成分が多いからこうゆう機能がありますよっていうことでいいのだろうか?
思うところはある特定の物質が多いならば良いのか?って
食べ物には確かに得意とするというか含有量が多いとされる物質がある程度わかっている。
ホウレンソウには鉄分が多いとかね。

ある限定した成分での評価というのは正しいのだろうか?

ここに引っかかるのは実は生産方法によっての分け方に疑問を持っていたから。
今までさんざん自然栽培だの有機栽培だの慣行栽培、
細かく言えば誰それの何とか農法に消費者が振り回されるという状況に疑問が大きかったからだ。

言わば売る側の都合を消費者に押し付けていた感じ。
自分自身もその中にいるわけだが。

今回の機能性もちょっと違うところでの生産側の押し付けに思ってしまう。
はたして消費者は理解しやすくなっているのだろうか?
食する人が目的に応じた判断が出来るようになるとすれば良いと思うが。
○クホと同じような集金システムにならなければよいが・・・・。


中身評価ではデリカフーズのやり方に賛同する。
長年にわたるデーターの蓄積があるだけに信頼できる。
今回の機能性の話しはその方向でのことと思っていただけにちょっとがっかりだったわけだ。

とはいうもののそういう方向に行ってしまうのならば
どう利用し実際の生活に取り入れられるかを考えてしまう。
それについては今後もいろいろ考えていく。

自然栽培的に話すと、ある特定なものに重きをおくと
自然ではないとの見方が起きる。
あるがままにしておくのが良いと判断しやすくなる。

これは説得力がありそうで実は実は闇雲。
自然環境は人間の活動により自然と言えない環境がせまっている。
自然の捉え方に疑問をもってしまうのだ。

あるデーターを引き出してみると
最近の生産物は中身の成分が昔の自然といわれるような環境のものから比較して極端に少なくなっているらしい。
それにはどういう事情があるのかを考慮せずに言う自然の食とはいったい何?

自然栽培のものの成分を検査して今までのデーターと比較できるものでもあればいいのにね。
それすらせずに言うだけ番長はどうなのだろう。
私は実際にデーターを出してみて、良いものとそうでないものでどうしたらいいのかを考えている。
やってみて思ったものになっていないとがっかりする。

とりあえず機能性という区別はしっかり考えての判断になるだろう。
現状と今後を見ていくところからかな。

安全なものを提供したいという思いは、何かの変化に対して慎重になるみたいだ。






chorga at 05:36|PermalinkComments(0)

2015年01月16日

デストロイヤーとビルダー


何かに気がついて新しい秩序を生み出す特別な人間が現れる事がある。
その時に歴史が変わる。

新しいことから生み出す新しい秩序を作り出すビルダーは
それまでの秩序を壊さねばならなくなる。

多くの人が認めざるを得ない状況を作り出せばビルダー
反面それまでの秩序は壊れてしまう。

ビルダーはデストロイヤーでもあるわけだ。


人の歴史はその繰り返しであり
それを成し遂げる人間はまれにしかいない。


時間の経過と共にそれは必然であるのかもしれないが
そこには必ず引き起こす人がいる。
そして必ずそれを止めようとする人がいる。
既得権益という言葉があるのはそういうこと。

デストロイヤーとビルダーは変化を起こし
安泰な時間をそうでないようにしてしまう。

あなたは何を望みますか?







chorga at 23:15|PermalinkComments(0)
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