2015年01月30日

私の目指すもの

農業をやってきて
一貫して目指すものがある。
それは安全な食という漠然とした表現しか出来ないもの。

もともと農家に生まれたものの農業にさっぱり興味が無かった人間が
その環境と生き方を考えた末の農業選択。
自分自身の体になにやらアレルギーが出てきてから、そこから目指すところが定まってきた。

当時の選択は今で言う自然栽培
そこに自分の思う安全なものがあると思ったからだ。

その自然栽培は崇高な目標の割には技術は乏しかった。
人の感覚的な、観察によるOJTがほとんどで
それを再現できるような技術の組み立てが出来ていないと感じている。

最近になってようやく科学的な解明が出来ている部分に触れ
自然界の流れが理解できるようになってきた。

自分の思うその要素は
宇宙的視点からの影響が目の前の圃場にどうかかわっているか。
普通にそこにある土に対する科学的な理解。
その場に生きる植物に対する科学的考察。

ほぼこれを理解していく事で成り立っていくような気がする。


どうしても自然栽培という立場から視てしまうのだが、
その1方向だけで見ていては真実は見えなくなってしまう気がする。

私の目指すものは何か?
常にそのことを頭においての出来るだけ多方面からの見方をするように心がけている。
自然界の有機物の変遷を見るには
偏った見方ではおかしくなってしまう。
自然栽培は一時期有機栽培に攻撃的であったように
科学的な考察が足りないがためにおかしい言動も出てきていた。
自然界の循環に必要な腐植の関わりにも
自然栽培の関係者は目も向けない。
そこから私の自然栽培に対する見方が変わってきた。

スーパー有機の素晴らしい組み立て理論を見ていると
いかに自然栽培が遅れているかを感じてしまう。
だけど
自然栽培は壺に嵌ればとんでもなく素晴らしいと思えるものが出来る。
その再現性が不安定であるがために
多くの人が取り付かれもするし、失敗もするのだ。

BLOF理論の小祝氏と最初に話したときに
自然栽培でも科学的な再現性のあるものを作り上げたらいいのではと言われた。
そこからがBLOF理論をしっかりと勉強してみてから組み立ててみようと思った。

誰にでも再現できる自然栽培
科学的な組み立てに破綻の無い自然栽培
何より美味しくて安全な自然栽培生産物を求めたかった。

どうやら小祝氏は自然農、腐植なども頭に入っているようで
そこからの考察は自然栽培の領域を覆っている。
いったいどれだけ勉強してきたんだよ。

目指すものはどこか?
それさえ見間違わなければ方法論はいくつも出来てくる。
それでも自然栽培にこだわりたいと思う自分がいるのだ。



chorga at 16:50│Comments(0)思い 

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