2015年07月
2015年07月12日
自然界の不思議
自然界の不思議
自然栽培というカテゴリー(単なるカテゴリーです)に関わってきて
思うことがある。
自然栽培とは自然界の流れをわかった風に見えるけど
追求していくと自然栽培は自然界をわかっているとは言いにくい。
地球における自然とは宇宙の中のルールの中の
地球における環境の表れでしかなく
大きな意味でのルールに合っているのかどうかは疑問。
だが大きな宇宙規模のルールに準じていなくてはならないはず。
全てを理解することは難しい。
わからないことが多すぎるから。
しかし人類は一部の環境(地球)での現象からの理屈で
多くを説明しようとしているような気がしている。
そこに不思議なことに見える原点があるように思える。
大きな話は大事なのだが
多くは目の前の現象に追われている。
実は大きな話こそ大事なのだが
大きな話は大きなスパンでの考え方になってくるわけで
目の前に追いかけられていたら小さなスパンでしか考えることが出来ない。
そこで思ったのは
スパン分け。
宇宙銀河クラスはちょっと棚上げ。
地球環境における宇宙に思いを寄せると
おおまかに太陽と月と地球に集約できそう。
これはかの岡田茂吉の見た世界。
そこから地球に近づくと
地球の歴史から土の存在を意識しなくてはならない。
土が有機物から発生したという事象を考えると
目の前の現場に近くなってくる。
さらに生産と言う見方から考えると
植物の生理に目が行くようになる。
そこに実は有機物だけではなく無機物の関わりが見えてくる。
いったん戻って地球クラスの話になる。
自然栽培の考え方は
自然を知っているかのような振りを見せるが
自然の見方を表現しているのは岡田茂吉氏のみ。
細かいことだけに振り回されている。
自然栽培とはしょせんそんなものかもしれない。
人の欲望が渦巻く悪徳商人の集まりなのか?
私は本来の自然栽培とは人の心まで影響するような食材を提供することにあると思う。
心が健康になるには体が健康でなくてはならないだろう。
その健康な体を生み出すものは食材だ。
生産現場はその体を作るためのとっても大事な食材を作り出す仕事を受け持っている。
ということはその使命を理解しなくてはならないのだ。
では使命を全うするにはどうしたらいいのだろう?
それがなかなか解らないから迷走する。
自然界とはなんと素晴らしくも罪深いのだろうか?
簡単に答えを出してはくれない。
自然栽培を目指す人たち
そこにあるとんでもない使命をわかっているか?
自然栽培と言う言葉に振り回されていないか?
本当の自然栽培とは
肥料と農薬を使わないだけではないのだ。
宇宙を考え、地球を考え、土を考え、水を考えて、それからの生命を考えることで
初めて生産を考えることが出来るのだよ。
自分の使命はいったいなんなのか?
それを考えることが自然に生きることと重なるのかもしれない。
そんなことを思うことの自然界の不思議
薄っぺらい話では済まないよね。
chorga at 21:34|Permalink│Comments(0)
2015年07月11日
思いと金
忙しくて更新できなかったね。
田が急に倍まではないけど増えたので
朝早く夜明けともに行動を開始
見えるまでは何かをやっているという生活が続いていた。
田植えが終わり、ひと段落かと思いきや
ジャンボタニシとの格闘が待っている。
補植作業に追われている現在。
このあたりは7月盆なのにそれどころじゃ無いな。
扱う米の量からすると自前の米が多くないので
いつも金の回しに頭を痛める。
段々お客さんからの要求レベルも高くなってくるので
質を上げるための機械も入れながらだから
金銭的には苦しい状況から逃れられない。
本当はかかった経費に上乗せしたいくらいだが
それをすると慣行ものが安くなっているので
売れなくなってくる可能性もあり出来ないでいる。
なんとか生活を切り詰めて生活している。
そこに新しいこともやり始めたから
いや~たいへんだ。
機械類の大きな支払いがもうすぐ終わってくるから
少しは良くなってくるだろうか。
息切れしそうな状況で
精一杯やってきたが
このところ頭に浮かぶのは
何故にこんな思いをしてまでやっているのか?
必要とする人たちに喜んでもらいたいから
だが、それで自分が苦しかったら本末転倒ではないのか?
そんなこんなを考えながら
状況を良い方向に向けるには一時的な金が必要ということ。
金に振り回される生活は嫌だが、金が無くては目的も達成できない。
目的は何か?
絶対に安全なものを必要とする人に提供すること。
自分が食べられるものを提供すること。
自分自身が食べるものを選ばなくてはならないからであるからこそ
何でも食べられない人の気持ちがわかる。
金を生み出す生産方法は知っている。
だが、それははたして安全なものになるのか?
その疑問が取れないうちは生産方法を変えるわけにはいかない。
安全なものになる事を願って取り組んでいる自然栽培だが
出来たものが安全と思われるというだけで
実は何も確証を取れるわけではない。
自然栽培と言う言葉に踊らされないようにと自制をし
色んな方法を使って安全なものに仕上がるようにやっている。
自然栽培信者には気に入らないらしいが
その取り組みに期待してくれる人も多いようだ。
自分自身の思いとずれるといきなり切り捨てる人もいるが
もともと同じ方向を向いていたはずだろう?
そんなこんな仕事に追われながら
頭の中はいろんなことを考える。
自然界は解らないことが多いのだが
できるだけ科学的に追求し
さらに化学的に証明できるところまでやっていきたい。
それは目指す安全なものの何故?に答えることだからだ。
思いと金
何かの解決する方法を見つけなければいけない気がしている。
今のままでは息切れしたら終わってしまう。
年齢からくる衰えはそれを助長してくるだろう。
いい加減なものになってしまうくらいなら
辞めてしまったが良い。
何かのシステムを作り出して
金がうまく動くようにしていきたいと思う。
辞めたらそこまでだからそれは不本意。
よく考えてみよう。
しかし疲れている・・・・